知識と知恵 AIと闘うために

こんばんは、Kintarooです。

 

今はいろいろな本を読んで見聞を広げたいなーという、漠然な思いでいるのですが、

そこでふと思った疑問。

 

知識と知恵、何が違うのだろうか。

 

つまり、自分が今している営みとは、知識をつけているだけであって知恵ではないのかなと。

 

本を読み勉強する内容は、世の中にすでに認識されていることであり、それを学ぶということは基礎的なことに過ぎないのかなと

 

でも、それを学ばずして新しいことに着手する知恵は、でてこないとも思うんですね。

 

要するに何がいいたいか。

 

今基礎を定着させて知識をつける、でも、知識をつけることが目的になってもいけない。知識をつけることは、AI技術を要すれば、人間でなくとも容易にできてしまう。

 

人間の感情や感性を持ったうえで最低限の知識を用いて新たな知恵を絞る、これこそが自分にとってのやりたいことなのかな、とぼんやりと気づいたのです。

 

だから、本を読んで知識をつけているときも常に想像力、創造力を働かせることを忘れずにいよう、と思う。

 

うん、すっきりした。

シンギュラリティは到来するのか?

こんにちは、Kintarooです。

いま話題のAIについてお話しようかなと思います。
タイトルにある「シンギュラリティ」、恥ずかしながら僕はAIについて勉強するまで全く知りませんでした。。

シンギュラリティの本来の意味は
非凡とか、特異的という意味です。

AI業界においては
Technological Singularity=技術的特異点

という意味で使われます。

つまりは、コンピューターが自律的に知能を獲得し、自分自身よりもより優れた性能をもつAIを生み出すこと、だそうです。

さてさてこのシンギュラリティ、実際に我々の生活の場に訪れることはあるのでしょうか??

そもそもAIとは、

artificial intelligence = 人工知能
のことであり、人間の知的活動をコンピューターが表現することです。

どう表現するのか?
そう、四則演算なのです。

では、四則演算で我々の知的活動を表現できるのか???


答えは、No です。

チェスや将棋ではコンピューターが人間に勝つことはあっても、僕たちの感情や知的行動を四則演算で表現はできないのです。

本来の意味であるAIというものは存在せず、今僕たちの生活のばにあるのはAI技術にすぎません。


したがって今日の疑問、シンギュラリティは到来するのか?

答えは、No なのです。